皆さんこんにちは。
今年は次から次へと台風がやって来ますね。
幸いにも逸れていく台風もありますが、沖縄地方はいつも台風がヒットしていきます。
強風が吹き荒れ、大量の雨が降る中本当に不安な気持ちで嵐が過ぎるのを待つのはとてもお辛いことだと思います。
そして地震も油断できません。
世界各国で「防災の備えを…」と国が国民に対して呼びかけているようですが、本当に地球が怒って地球を荒らす
人間を排除しようとしているのか、とも思えます。
また、人工知能であるA.Iを悪用して世界中のコンピューターをハッキングして情報を不正に得たり、それで脅して
金銭を要求したり、という犯罪も増えています。
私はA.Iというものが話題になり始めたころから当然ながら危惧していました。
なぜなら、諸刃の剱だからです。
確かに便利です。
仕事などもはかどります。
しかし、過去の歴史を見ても便利な道具は楽ですが、その一方で薬の副作用みたいに人間にとっての悪影響も懸念
されるんですよね。
まずは便利になる分、人は楽できるのであまりものごとを深く考えなくなります。
つまり、頭を使わなくてもいろんなことをA.Iがやってくれますので、人間の能力を奪いまた仕事すら奪っていき
ます。
さらには、この便利ツールを悪用する人も出てきます。
私はA.Iが出て来た時、アーノルド・シュワルツネッガー主演の映画「ターミネーター」を考えました。
あの映画も、人工知能が暴走…というより地球にとって悪となる人間と言う生き物を排除する為に、学習した機械
が人を滅ぼしていきます…きっと、そんな日が近付いているのかな、と思っています。
人間はそこに矛盾があったとしても人間の都合の良いようにしか考えませんからね。
そんな矛盾をA.Iはすぐに学習して気付き、滅すべきは人間!と判断するのかもしれませんし、もうそうなりつつ
あるのだと思いませんか?
開発者もおそらくそんなことは承知の上だったのでしょうけど、ビジネスという世界にいると目先の利益に目が
くらみ、先々のことを考える想像力を失います。
今の世界、本当に想像力の欠けた判断が多いと思います。
心配ですね…

さて、今月の法語です。

そのこだわりと
執着が
己を苦しめて
いないか


長く私のここでの法話を御覧頂いている方はこの意味がよくおわかりだと思います。
私もこの場で何度も何度も申し上げて来ました。

仏教では、私たちは「六道」という世界でずーっと生き死にを繰り返しているのはご存知ですよね?
あらためて申し上げますと、六道とは、私という命が生きる世界です。
・天道…天人の住む世界。
・人間道…いま私たちがいきているこの迷い苦しみの世界。
・修羅道…争いの絶えない世界。
・餓鬼道…飢えと渇きに絶えず苦しみ、何でも求めては渇望する世界。
・畜生道…本能のままに生き、弱肉強食の世界で、命を奪うことなども平気で行う世界。
・地獄道…生前の罪を償わせる最大の苦しみの世界。
私たちはこれら六道で生き、死にを繰り返している、と言われています。

ちなみに、この中の修羅道ですがこの修羅道の主が皆さまも聞いたことがある阿修羅という守護神。
阿修羅は元々神様であったのですが、同じく神様である帝釈天と大きな争いを起こします。
その理由は諸説あるのですが、元々正義感溢れる阿修羅神は帝釈天との間で女性に関することで揉め、やがて
大きな戦いにまで発展したと、とある文献には書かれています。
その争いの場があまりにもひどかったため、凄惨さを表すのに今でも「修羅場」と言いますね。
とにかくひどい争いであったようです。
そしてついには阿修羅神は己の正義感に固執し赦す心を失って執着悪となり、これが原因で天界を追われて人間道と
餓鬼道との間に修羅道ができた、とも言われています。

私たち人間はとても弱い生き物です。
強いように見えて、とても弱い…だからこそ、いろんなもの…尺度や教え、自分の思う正しさを持ち、それに沿って
生きることで自分自身を見失わないように生きている。
それが私たちですよね?
私もそうです。
過去生きてきた中で学んできた多くのことから何が正しいのか?を見出し、それに沿って生きながらも、それでも
迷いながら生きています。
迷う、と聞くと道に迷って右往左往する様、に思えるでしょう。
でもそんな単純なことではないんですよね。
普段何気なく通っている、歩き慣れた道。
これがある日突然、全く違う景色、違う道筋、違う方向に思えた時、言葉にならない程の恐怖心を抱くはずです。
だって、帰れません。
どこにも行けません。
怖くて怖くて、不安で恐ろしくて、どうなってしまうんだろう、と泣き出したくもなるでしょう。
迷いって、それくらい怖い物なんです。
これ、道に例えましたが、自分の生き方、してきたこと、周りの人々などが思い通りにならない時ってないですか?
そこが迷いであり、自分の思い通りにならないことが「苦」なんです。

で、そもそもなぜ迷うのか?を考えれば良いのですが、そんな時ってなかなか冷静には考えられませんね。
パニックでどうしていいのかわからなくなり、やがて、なんとかしようという気力も無くなり、最悪心までが病んで
いきます。
それって、持っていた地図や頼りにしていたコンパスが間違ってただけ、もしくは良し悪しは別として現状に合って
ないだけなんですよ。
自分の人生の地図って、元々あるわけではなく、自分で描き、それを元にコンパスを使って方角を決め、向かって
いくのですが、ほぼ全員が「それが正しいはず…」と決め込んでいるんですよね。
だったら、その地図とコンパスを修正していく、もしくはいっそ捨ててまた新しく作ればいい…のですが、これが
なかなか難しい。
そもそも、今まで頼りにしてきた地図を捨てるのは相当怖いです。
ほぼ100%の人が「それでもこの地図を信じてみたい」と思うはずです。
だって、その地図こそが自分自身ですから。
でもそれをしていると決して好転しません…だって、その地図、間違ってる、または現実と合っていないから。
いや、最初から間違ってはいませんでしたよ。
進むうちに自分の心も、人の心も、世間の常識や様子も変わっていきますから、これに応じて地図もコンパスも
変化させていかないといけないんです。
日々、そんな変化は傍から見ていれば気付くのですが、でも自分自身は気付き辛い。
やがてそれが積もり積もって「え?」「何で?」ということが起こるんです。
なぜ気付かなかったのか…それは誰もが自分の描いた自身の地図を否定することが無いからです。

面白いお話をします。
航空機が飛ぶには、今の時代は人工衛星の信号を拾ってGPSの指示を頼りにして飛ぶので空で迷子になることは
なかなか少ないですが、基本的な飛び方は、やはり地図を見て飛ぶんです。
飛ぶ前に離陸する空港から行きたい空港まで地図上に真っ直ぐ線を引きます。
そして分度器を使って方角を測り、その方向に向かって飛ぶ…とても原始的な方法ですが、最初に訓練で習う
のはこういう基本的な飛び方です。
でも実は、いくら航空機に乗ってコンパスをしっかり見て寸分のズレ無くその方角に飛んで行っても、目的地
には着きません。
距離が遠ければ遠いほど、絶対に着きません。
なぜだかわかりますか?
パイロットはもちろん、船に乗られる方はご存知かと思いますが、地図上の「北」とコンパス(方位磁石)の指す
「北」は、実は違うんです。
地球は回転していますが、その回転軸の中心となるところが「北」(または南)なのはご存知ですよね?
そして地球そのものは磁場であり、磁石のように磁気を発しています。
この磁気と磁石の力を利用して方角を知る為に使われているのが方位磁石と呼ばれる「コンパス」。
でも一般的に地球の自転軸(回転軸)とS極とN極とはなんと!ズレています。
この磁石の指す北を「磁北」というのに対して、地図上の北を「真北」と呼ぶんです。

…大丈夫ですか?ここまで意味わかります?

もっとわかりやすく言うと、地図で見た北方向に向かおうとして、コンパスの指す北に向かって行っても、それぞれ
真北(=地図上での北)と磁北(=磁石の指す北)はズレでいるので、これを修正しないといけません。
現在日本では、中部地方ですと地図上の真北と磁石での磁北は約8度もずれているんです。
方位でいうと、「北」は0度、もしくは360度ですよね?
東は90度、南は180度、西は270度です。
なので、もし真北に向かって行こうとすると理屈ではコンパスの0度(または360度)の方向に進めば良いのですが
先にも述べた通り、地図と磁石とでズレがありますから、実際にはコンパスの008度に向かって行かないと地図上
での真北には絶対に到着しません。
真東なら本来は090度なのに098度の方角、真南なら180度なのに188度、そして真西なら278度と、なんと概ね
10度弱もズレているので、これがわからなければ永遠に迷子です。
さらにこの誤差は年々増えていってるんですからタチが悪い。
さらに言うと、上空は強い風が吹いていますから、風にも流されるんです。
そしれこれも気付き辛いから、もっと面倒なんです。
…って、この話、面白かったですか???

何が言いたいのか?と申しますと、私たちの思う「正しさ」や「真実」は意外と正しくない、ということです。
でもそれに沿って、頼って生きてきたのですから、疑うことは、大抵ないですもんね。
みんな「自分が正しい」と思って生きてます。
だからこそ、人は迷うんです。
そんな時に人はどうしても「自分が間違っていた」とは思えません。
でも、自分と世間の様子や常識、自分と他人の考え、との間には気付かず誤差が生じていくんです。
自分は変わっていなくても、周りが変わっていってる。
または、周りは変わっていないのに自分だけが変わっていってる。

だから、今持っている地図とコンパスを手放して、新しく作っていく作業って必要なんじゃないでしょうか。
特に長年使っていた地図やコンパスって、なかなか手放しづらいですが、そんな使えないものを持っていても
仕方ないですよね。

私もここ最近思い悩むことが多々ありました。
今まで築いてきたもの、学んできたこと、など多々あるものを思い切って捨てる覚悟を決めた瞬間、パッと目の前が
明るく開けて、どんどん前向きになってきました。
やっぱり、心の断捨離って必要なんですよね。

こだわりや執着を持っていると、こんなにも辛かったんだ…と思えた瞬間でもありました。
特に「自分は頑張ってきたのに…」という自覚がある人ほど、そんな「人生の誤差」につまずき易いです。
積み上げて来たものが高ければ高いほど、大きければ大きいほど、重すぎて誤差に気付けず、また崩れた時の影響
も同じく多大でしょう。

自分も世間も他人も変わっていくように、誤差も同じく刻々と変化していくものでもあります。
移ろいゆく人の世界、そして自分自身。
留まらないでどんどん捨てては手に入れ、失っては手に入れ、を繰り返すのが、本当の生き方なんでしょうね。
これをお釈迦様は「諸行無常」と説かれ、そしてそんな移ろいゆく世の中に揉まれて翻弄され、成長していくこと
を「諸法無我」と説かれました。
でもこだわり、執着を捨てきれずにいるから「一切皆苦」=思い通りにしようとするから迷い、苦しみ、辛さが
起こるんだ、ともお説きになられました。
そして、そのこだわりや執着を捨ててこそ「涅槃寂静」=悟りの世界こそが、最も心穏やかに静かに居られる自分
だけの世界、とお教え下さいました。
この諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦の教えを「四法印」と言います。

私たちは悟りが開けません。
なぜなら煩悩の塊だからです。
だからこそ、上で述べた六道でずっとグルグルと生き死にを繰り返し、常に死に怯え、死後に行く世界に怯える
というループの命を繰り返してきました。

そしてその六道の説明で、それぞれの世界の特徴もご紹介しましたね。
ここでよくお考え下さい。
天道…天人のような穏やかな生き方を望みつつも、修羅道…のような勝ち負けにこだわり、餓鬼道…のように貪欲な
心を持ち、餓鬼道…のように本能のままに動いてしまう。
そうしながらも地獄には堕ちたくないと怯えつつ、この人間界で苦悩して生きる…そんなわたし、ではないですか?
なぜそれらの世界の心がわたしの内にあるのかというと、過去世でそれらの世界を経験してその心を業として持って
いるからなのだと、私は思います。

だからこそ、そんなわたしを救いの目当てとし、六道輪廻から外して「必ずお浄土に往けるように救ったからな」と
南無阿弥陀仏のお念仏となってわたしにいつも語りかけてくださるのが阿弥陀さまなんです。

大変な修行、苦行ができないわたし。
でも、思い切ってこだわりと執着を捨てて、新しく手に入れる、によって、本当に自分が望んできた人生を歩める
のではないのか、と思う今日この頃です。
大変な修行はできませんが、捨てることはできますからね。
阿弥陀さまにありがたくお救い賜っても、申し訳ない身の上の、このわたしでありました。

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏


善教寺 住職
本願寺派 布教使

釋 一 心(西守 騎世将)







 


 
 phone 096-355-2015 熊本県熊本市中央区東阿弥陀寺町41
 

Copyrights (c) 2019 菩提山・善教寺 All rights reserved.