みなさん、こんにちは。
もう朝晩はめっきり冷え込む季節となりました。
北海道では初雪も観測されました。
でも、私が普段居る愛知県では、日中は半袖じゃないと暑くて仕方ありません。
空に浮かぶ雲も既に秋の雲なんですが、なぜか地上はまだまだ夏日を継続しています。
これきっと、いっきに冬にりそうですね…
気温の急激な変化は体調を崩しやすいので、どうかみなさん、お身体をご自愛下さい。

さて、今月の法語はいわゆる過去の「苦労」や「失敗」についてです。
過去の、もう思い出したくもない失敗ってありますよね?
自慢じゃないですけど、私には数えきれないほどあります。
そしてその度に辛酸をなめ、自分が情けなくて涙を流し、悔やみました。
経営している会社の社員に裏切られ、身内にも騙され、他人からは貶められ…何をやってもうまくいかない。
でもその時って、その原因を常に自分以外に向けていたように思えます。

私は若い頃、父親から「人間は苦労をしないとダメだ!」とずっと言われ続けてきました。
「苦労」「苦労」が父親の口癖で、「俺は若い頃から大変な苦労をしてきたんだ」と、むしろ自分の苦労話
を自慢げに語っているように思えました。
その反動からか、「苦労は失敗した奴の言い訳だ」と、ずっと苦労を否定し、反発してきました。
苦労なんて、しないに越したことない…そう思っている人も多いかと思います。

でも、世の中そんなに甘くはありません。
24歳の時に父親の会社を飛び出て独立し、会社を興してから自分が最も忌み嫌っていた「苦労」というやつが
いっきに私を襲ってきます。
知識も経験も浅く、ただがむしゃらに突っ走っていただけですから、そりゃちょっとした事に簡単につまづき
ます。
でも「たまたま運が悪かっただけ」「あのお客さんはダメだ」と、自分の失敗を常に否定していた自分がいま
した。
会社経営って、皆さんご存知かもしれませんが全然楽しくないです。
過去35年経営者として勤めてきましたが、良かった事はほんの数パーセントで、ほとんどが「大変」なこと
ばかり。
私に才覚が足りない、人望が無い、そもそも努力不足なのだと思いますが、思い返せばとても大変な35年
でした。
そしてふと気が付いたんです。
「苦労を否定し、バカにしてきた自分こそがずっと苦労してる!!」って。

四苦八苦という言葉を聞かれたことがあるかと思いますが、これは仏教の言葉で、お釈迦さまの教えなんです。
まず根本的な四つの苦があり、
・生苦(しょうく)…生まれることの苦しみ。
・老苦(ろうく)…老いていくことの苦しみ。
・病苦(びょうく)…病となる苦しみ。
・死苦(しく)…死に対する苦しみ。

そしてもう四つの苦があります。
・愛別離苦(あいべつりく)…愛する者と生別、死別する苦しみ。
・怨憎会苦(おんぞうえく)…怨み憎む、嫌いな者に会う苦しみ。
・具不得苦(ぐふとっく)…求めるものが手に入らない苦しみ。
・五縕盛苦(ごうんじょうく)…人間の肉体と精神(五薀)そのものが苦しみを作る。

これら四つの苦を合計して八つになりますから、「四苦八苦」です。
ここで言う「苦」とは肉体の苦しみもそうですが、どちらかというと心の苦しみも大きいです。
【生苦】…人はいつ、どの国に、どんな両親の元に生まれるかの選択肢を持たず生まれます。
自分の思い通りにはなりません。
【労苦】…人は自分が老いていくことを止めることが出来ません。
嫌でも毎年誕生日がやってきて、歳が増えていき、どんどん老いていきます。
自分の思い通りにはなりません。
【病苦】…人は必ず病を患います。
病を避けて生きていくことは出来ないです。
自分の思い通りにはなりません。
【死苦】…人には遅かれ早かれ必ず死が訪れます。
不老長寿を求める人は多いですが、それを得られる人はいません。
自分の思い通りにはなりません。
【愛別離苦】…人は親兄弟や配偶者など、生別死別を問わず愛する者と必ず別れる時がきます。
自分の思い通りにはなりません。
【怨憎会苦】…人は人の世界で生きている以上、大嫌いな人間と会わずに生きていくことは決して出来ません。
自分の思い通りにはなりません。
【具不得苦】…人は人でも物でも、求めるものを自由に手に入れることは出来ません。
自分の思い通りにはなりません。
【五縕盛苦】…人間の肉体と精神は常に自分の感情や思い願いを優先しそれがかなうことを求める構造を元から
備えており、快適や快楽を求め続け、それらは際限なく自分の中で増幅していくばかりです。
自分の思い通りにはなりません。

つまり、人は常に何かしらを思い通りにしたい、コントロールしたい、と考える生き物なのですが、その殆ど
が自分の思い通りにならない事ばかりで、そこに苦しむんですね。
これがお釈迦さまの言いたかった四苦八苦の教えなんです。

自分の思い通りにはならないことだらけの世の中に生きているのですから、まずそれを知ることが大切で、
その多くは執着から来ています。
様々な欲や執着は自分にとってはベストだと考えていますが、実はそれはただの煩悩。
煩悩に囚われたままで何をやってもうまくいくことはありません。
「人のため」とか言いながら実は自分の欲のためにやってる人、多いです。
「あなたの為を思って…」という言葉は、「自分のコントロール下におきたい」の言い換えです。

執着や欲という煩悩を捨てて、無心で取り組む、やり続ける、やり通す。
過去の苦労が今の私を育ててくれた、と考えられるのかもしれませんが、もっともっと大きな視点で見ると
過去の私に存在していた苦を知り、その原因は自分の欲や執着であったことを理解する。
なんでもかんでも自分の思い通りにしようとするから、そこの苦しむ、失敗がある。
そんな余計なものを捨て、真に身軽になった「わたし」こそが過去の「苦」に育てられた「わたし」であり
本来の生き方をする「わたし」なのだと思います。
そしてこれはひとえに、仏さまのおはたらき、仏さまによるお育てなのだと知れば、心から感謝し、自然に
手が合わさり、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と感謝のお念仏がこぼれるのだと思います。
これが「御恩報謝のお念仏」です。
まことにありがたいことですね。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

善教寺 住職
本願寺派 布教使

釋 一心(西守 騎世将)







 


 
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