皆さん、こんにちは。
ついに梅雨明けしました!
そして、昨年にも負けないくらいの猛暑となっています。
なんでこんなに暑い(熱い)のかと言いますと、「地球温暖化のせい」とひと言で片付けても間違
いではないのですが、航空図書に於いてベストセラーとなった「世界で一番わかりやすいl航空気象」
の著者・西守騎世将としてのプライドが許さないので、もう少し丁寧にお話しますね。
(この本は売れに売れて流通在庫が無くなり、現在改訂版を執筆しています…)

日本の夏というのは、日本の南海上からやって来る高温多湿の高気圧である「太平洋高気圧」または
「小笠原暖気団」とも呼ばれる気団に包まれた状態であると気象学会ではそう認識されてきましたし
私もそう習いました。
しかし近年、夏場の気温がどんどん上昇し、ついには全国に於いて35℃越えの猛暑と呼ばれる気温
となり、これまたここ数年で頻繁に聞くようになった「熱中症」と呼ばれる症状で体調を崩され、
場合によってはこれで命を落としてしまう方も出てきました。
昔は熱中症などという言葉はあまり聞くことがありませんでした。
その代わり「日射病」というものがあり、長時間太陽にさらされて体調を崩してしまう症状はあり
ましたね。
しかし近年の日本の夏は、あまりにも高温過ぎて直射日光に当たっていなくても体調を崩してしまう
ので、これを「熱中症」と定義しています。
従って、日射病と熱中症は基本的に同じなのですが、違いは日射病は太陽に当たっていてなる症状、
熱中症は太陽に当たっていなくてもなる症状です。

それはさておき…近年の日本をとりまく暑い空気をもたらす気団で、南からやってくる太平洋高気圧
に加えて、西の大陸からやってくる乾燥した高温の高気圧気団である「チベット高気圧」というもの
の存在が明らかになってきました。
このチベット高気圧が曲者で、乾いた大陸からやってきますので、それはそれは高温度の気団なんで
すね。
近年の猛暑の原因は、このチベット高気圧が勢力を強めて日本列島の上空にまで伸びてきているから
と言われています。
つまり、下層は太平洋高気圧に覆われ、さらにその上には高温のチベット高気圧がかぶさり、いわば
「二階建て高気圧」に覆われているから、こんなウソみたいに暑いんです。
なので過去あり得なかったのですが「今、日本で最も涼しいのは沖縄!」なんて現象も起こるんです。

低気圧と高気圧については皆さんよくご存知だと思います。
低気圧の特性として、低気圧周辺の空気が低気圧の中心部分に反時計回りに流れ込んできます。
これらの低気圧の中心に大量の空気が集まると、逃げ場が無いので今度は唯一逃げられる上空へと
持ち上げられます。
この強制的に持ち上げられた空気が冷やされて雲となり、大量の雲が雨を降らせます。
これが低気圧の特徴。
高気圧は逆で、高気圧中心付近から時計回りに下方に向かって時計回りに空気を吹き出し拡散します。
ですから、二階の高温なチベット高気圧が地上に向かって吹き下ろされ、さらにこれに加担して一階に
いた太平洋高気圧も高温多湿な空気を加えてさらに地上に吹き付け、日本列島全体がかなりの高温状態
になる…これが今の酷暑の原因なんですね。
今ではこの暑さも「災害級」と言われるほどで、軽く見ていると本当に命をも落としかねません。
くれぐれもお気を付け下さい。

さて、今月の法語です。
「時は金なり」という言葉は聞いた事があるかと思います。
これはベンジャミン・フランクリンの格言で「Time is money.」が日本語に訳された言葉で、時間の
大切さ、重要さを説く言葉です。
まあそれはそうなんですけど、お金って働けば稼げますよね。
つまりお金なんて自分である程度はコントロールできるものです、
でも時間はどうでしょう?
一日は24時間しかありません。
これを「自分は今日1時間余分に寝たいから今日は25時間にしちゃおう…」なんて出来ませんよね。
さらにもっと言うと、「時は金なりだったよな…明日はもっと大切にしよう」と七回数えると一週間
経ち、「来週は…」を4回数えると一カ月が経ち、さらに「来月は…」を12回数えると1年経ちます。
そして「来年こそは…」を70回数えると、一生が終わります。
何が言いたいのかと申しますと、ベンジャミン・フランクリンさんの言葉を否定する気は無いのですが
「時」ってお金なんて価値の低いものなんかではなく、「時」とはまさに自分の命の事であり、何を
していても、考えていても、その「時」という寿命は刻一刻と刻まれて減っているんです。
自分の命、寿命なんてコントロール出来ません。
明日すらもどうなるのかわからない身なのに、お金に換算出来るほど私たちの命ってそんな安いもの
ではないですよね。
ですから、無駄な物事に、無駄な人に、自分の命・寿命を削ってるヒマなんてないんですね。

親鸞聖人はご和讃にて次のようにお示しになられています。

本願力にあひぬれば
むなしくしすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし

(高僧和讃 註釈版聖典五八○頁)

「本願力、つまり阿弥陀如来の救いに出遭えたのならば、虚しい人生を、一生を過ごす人はいない。
この世界にはいたるところに阿弥陀如来の大変な修行の功徳がまるで海の水のように満ちており、
お救い頂くにあたり、私たちの抱える煩悩など一切を問題や障害としない」と仰せになられています。

そもそも、私は何のために生まれてきたのか…を考えたことありますでしょうか?
もしそう考える機会があるのなら、実はそう考える時って、何かしら迷いがある時じゃないですか?
「なぜこんな仕打ちをうけないといけないのか…?」
「なぜこんな嫌なことばかり続くのか…?」
「私は生きている価値はあるのだろうか…?」
そして、「私はなんのために生まれて来たのか…?」に行き着きます。
ここに答えを導き出すことはなかなか難しいことだと思いますが、でもなぜ難しいのか?は答えが出て
います。
それは「自分の命」とは、「この世で生まれてその後死ぬまで」を区切りとしてしまっているから。
つまり死んだら終わり…多くの方々がそう考えているはずです。
でも違うんですよね。

「私は生きている価値はあるのだろうか…?」「私はなんのために生まれて来たのか…?」
そう考え、迷い、苦しんでいる私こそが、まさに阿弥陀如来の救いの目当てだったんです。
そんな生きとし生ける者の迷いや苦しみの一切を取り除き、無条件に救うのが阿弥陀如来という仏さま
なんです。
私たちは、間違ったことを正しいと勘違いし、迷い、間違っているとわかりつつも、やめられない。
理性ではなくすぐに感情で動き、モノを言い、これすらも止めることが出来ない、止めようともしない。
そんな私を最初から見抜かれて、「我にまかせよ、必ず救う」とお念仏となって私にそう仰せになら
れています。
今まさに阿弥陀如来の救いが私に至り届いているのだと知れば、今までの自分とは少し違った考え方が
生まれるのではないでしょうか。
だって今まで「俺が、俺が」「私が、私が」と我を張って生きてきたのだけれども、一番ネックだった
その「我」を外されるのですから。
その過程で最初に知るのは「救いの対象たる私自身の弱さ」です。
何よりも大切なことは、そんな自分の弱さ、悪さをまず認めることなんですよね。
それが出来れば、まるで世界がガラッと変わったように見えるはずです。
阿弥陀如来の慈しみの心がこんな私に届いているわけですから、少しずつ人にも寛容さを持てるように
なり、自分の不完全さを棚にあげてきた過去は捨て、新しい視点で人に接し生きることができるはずです。
つまりは、持つ必要の無かったストレスやプレッシャーから解放され、自分らしく自然体で生きて行く
ことができるんですね。
ですから阿弥陀如来の救いとは、自分がこの世と縁が尽きた後の一大事の解決も当然ですが、実はそれだけ
ではなく、今の今、この世で、より自分らしく軽やかな自然体で生きる命に修正されていっていることも
そうで、それを知ればまさに自分は救われているのだと自覚するはずなんです。
これが「阿弥陀如来の救いが、今まさに私に至り届いている」ということなんです。
そんな大切なことを知らされ、自分らしく幸せに生きぬいて、この世での卒業式を迎えた後は、さらに
もっと素晴らしい命がちゃんとお浄土にて用意されている。
それが自分の命の意味なんです。
ですから「時は金なり」ではなく、「時は阿弥陀さまの救いに出遭い、修正して頂き、自分の為の真の
命を生き抜くこと」ということなんですね。
もう無駄な時間は過ごさないで下さい。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

善教寺 住職
本願寺派 布教使

釋 一心(西守 騎世将)







 


 
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