皆さん、こんにちは。
元日の能登半島地震から早くも2ケ月が経ち、もう3月です。
仮設住宅はまだまだ間に合わず、避難所に身を寄せている方達の辛さは想像を超えるものだと
お察しします。
東日本大震災でもそうでしたが、学校を避難所にしていても、学校を再開する為にその避難所を
閉鎖し、行き場を失う形となった被災者の皆さんも多かったです。
それだけに仮設住宅の整備は急がれます。
仮設住宅と聞くと熊本地震を思い出します。
私は一般社団法人災害支援機構という組織の代表を務めておりますが、熊本地震の際に遅々として
進まない仮設住宅の整備に異を唱え、コンテナハウスを早急に導入するよう、益城町役場や熊本
県に対して何度も折衝しました。
それでも動く様子が無く、またなぜスピーディーに動けないのかの説明もなかったんです。
そして後々、蒲島県知事が「県内産の木材を使用した仮設住宅の建設」にこだわり、これが時間が
掛かった理由なのだとわかりました。
今となっては「何やってんだか…」で済む過去の話ですが、当時は未だテントやガレージで生活
する方達も多く、熊本県行政は県民の事を考えているのか!?と大きく憤りを感じていました。
その為私は内閣府の災害担当に連絡をし、「熊本県は呑気に考えているが、一日も早くテントや
ガレージでの生活から解放させてあげたい!コンテナハウスを導入して下さい!」と交渉した
ところ、内閣府災害担当官は「ならばその要望が被災者の方からある旨を出して頂ければ動けます」
と言われました。
そこで私は各避難所やテント生活、ガレージ生活をしている方達の元まで行き、要望書を渡して署名
をしてもらい、要望書を集めました。
ところが、この要望書を内閣府に送ろうとしたら内閣府の担当官は「県が決める事ですので」と急に
手のひらを返すような対応に変わりました。
結局、コンテナハウスに住める!という被災者の皆さんの望みがぬか喜びとなり、やってきたことが
全て水泡に帰しました。
協力して下さった被災者の皆さんに謝罪をして回りましたが、「そうですか…」という落胆された
顔は今でも忘れられません。
自分の力不足を痛切に感じました。
このような大きな災害は過去何度も起こっていますが、国や自治体の対応は何ら進んでいないのが
現実だと思います。
「危機管理」という言葉だけが先走りして、全く別のところを歩いており、その大切なセオリーは
生きていないというのが、率直な感想です。

国も自治体も、そして民間企業や組織、はたまた一般家庭まで「危機管理」という言葉とその重要な
意味は浸透しているとは思います。
しかしながら、それが実践されないのは、起こるかどうかわからない事に対して、時間や意識、また
それに掛かるコストを避けようとするのは人間の性だからです。
「どうせ起こらないでしょう」「ま、なんとかなるでしょう」と考えている方達は結構多いのでは
ないでしょうか。
そして、人間にとって最も一大事な出来事というのは、自分が死を迎えることです。
しかし、そこへの危機管理…生命保険なども大切ですがもっと大切な危機管理が忘れられているよう
に思えます。
なぜなら、自分がこの世と縁が尽きる、つまり自分はいつか死ぬという絶対的事実があるのに、そこ
に蓋をしてあたかも無いかのようにして生きる私たち人間ですから。

愚者が
自ら愚であると
考えれば
すなわち
賢者である

これは釈尊(お釈迦様)の説かれた短い言葉をまとめた「法句経(ほっくきょう)」という経典の
中の「第五章 愚かな人」で説かれている一説です。
実は続けてこう綴られています。

愚者でありながら
自ら賢者だと
思う者こそ
愚者だと言われる

勉強が出来て、いろんな物事を知っている。
とある技能を身に付けて人が驚くことをやる。
世の中には様々な人がいますが、所詮人のやる事なんです。
多少人より秀でていたとしても、全てにおいて自分が勝っていると考えるのは早計です。
勉強はすればするほど知識は増えます。
しかし仏法は学べば学ぶほど、自分の愚かさ、至らなさを思い知らされるんです。

「死」という望まない瞬間に蓋をして無かったことのように生きても、いずれその「死」は平等に
誰の元にもやってきます。
そこから逃れようとする私こそがまさに愚の中の愚なのだと思います。

そんな愚者たる私をどうしても放っておけず、煩悩まみれのこの私に授けて下さった阿弥陀如来から
の「他力の信心、本願力回向の信心」こそが、私の命の危機管理なのだと思います。
私は愚者なので、余計な自力の悪あがきなどせず、一切を阿弥陀さまにおまかせし、ただひたすら
お念仏にて阿弥陀さまのお声をお聞かせ頂く。
私という愚者は所詮どこまで行っても何をやっても愚者であり、賢者には成り得ません。
「自ら愚であると考えればすなわち賢者である」という言葉は、私が賢者になることではなく、私が
愚者であるが故に、賢者たる仏さまが私をお救い下さる、と頂くことが正しい理解なのかな、と思い
ます。

小さな小さな世界で、これまた小さなことに拘り、誇り、自慢し、競い、満足をしようとする有情。
いかに愚かなのか、が思い知らされますね。

能登半島で被災された方々が一日も早く復興によって新しい歓びのある生活を取り戻せるよう、心
から念願しております。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

善教寺 住職
本願寺派 布教使

釋 一心(西守 騎世将)







 


 
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