みなさん、こんにちは。
今年の夏はとんでもない暑さでしたね。
善教寺の電気工事を担当している業者さんも、「エアコン修理で大忙しでした」との
ことでした。
あまりにも暑すぎて結構エアコンが壊れたそうです。
人類はいろんな文明の利器を発明してきましたが、このエアコンの存在は 本当にありがたいものです。
近年の暑さは命にも関わりますからね…

さて今月は失敗と学習について触れてみたいと思います。
私は今月で還暦…60歳になりますが、この60年間、思い返せば殆ど失敗の連続でした。
あまり考えずに動くタイプでしたので、何も考えずにいろんなことを始め失敗ばかりを繰り返して
きました。

もちろん誰でもそうだと思いますが、最初から失敗しようとして何かをしようとはしませんよね。
むしろ成功を狙って動き始めるのが普通だと思います。
ですが、失敗の連続…でも冷静に考えれば、それは当たり前です。
なぜなら、そこに知識や経験が無いからです。
そこで学習し、その経験から同じ失敗をしないようになる。
「学習」の定義ってお聞きになられたことはありますでしょうか?
これ、教育に携わった事がある方ならご存知かと思いますが、教育基礎学という学問の中に出てきます。
「学習とは、経験した結果によって後の振る舞いが変化すること、と定義される」と書かれています。
大切なのは「振る舞いが変わること」…つまり、何かをしたことによる結果から学び、そこで後の改善
がなされていくことを「学習」と言うんですね。

よく、「あー昨日は飲みすぎたー。頭が痛い…二日酔いだ〜」なんていう人に対して、「お前、先週も
同じこと言ってたじゃないか」と他の人から言われるシチュエーションありますよね…
そして、大抵こう言われます。

「お前、学習しないやつだなぁ…」って。

失敗やうまくいかないことは誰にだってあります。
でもその失敗から学び、同じ失敗を繰り返さないようにすることは大切です。

(好き好んでやっている場合は別ですけど…)

私たちは学習して育っていく生き物です。
動物も同じで、彼らも何らかの学習をしながら生きています。
ですから、うまくいく為にその手前で失敗するというのは必要不可欠ですし、言い換えれば成功への
道のりに欠かせないものでもあります。

 しかし一方で、失敗をしたくないがために、新たな挑戦をせずに無難な道を進む人もいるでしょう。
皆さんご存知な方も多いと思いますが、私はお寺の住職である傍ら、ヘリコプターの操縦士を民間で
養成する会社の経営もしております。

そして意外にも、「ヘリコプターの操縦ライセンスを取りたい」と言ってくる方は、年配の方も
多いんです。

なぜなら、その人たちはまず若い頃に一度は夢を見るんです。
「パイロットになりたい!」って。
でも自費でパイロットになるにはお金も掛かりますし、時間も必要です。
仕事をしながら、そして家庭も持ちながらこの夢を叶えるのはなかなかハードルが高いんですよね。
で、「仕事が…」「家庭が…」「資金が…」を、自分が諦める為の材料にして自分自身を納得させ
るんです。

パイロットに限らず、そんな事、結構多いんじゃないでしょうか。
そして年月が過ぎるんですが、ある時かつて見ていた夢、そして諦めたはずの夢が突然湧き起こって
来るんですね。

「やっぱり、あの夢をどうしても諦めきれない!」って未練が。
そして「たった一度きりの人生。やって後悔する方がマシ。やらずに後悔は絶対にしたくない!」
という自分の心の中の壁を打ち破った人が、私の所にやって来て、門を叩くんです。

「やっぱり夢を叶えたいです!」って。

 操縦士養成の業務の中で今まで数多くの相談者と接して来ました。
その中で「やらない理由」を並べる人って結構多いです。
「パイロットのライセンスに興味ある」と言って私のところにわざわざ相談に 来てるのに、話も後半に
なっていよいよ決断か、というところに来るとなぜか
「もうちょっと若かったら…」とか「もっと時間
があったら…」って、急にネガティブになります。

「宝くじに当たったら」とか言う人もいました。
これを言い出したらもう無理です。
しかし先に述べたように、10年とか15年後に、また私のところに来られるんですけどね…

 また私は若い頃、不動産営業もやっていました。
「家を買いたい」…そんな方に新築、中古問わず物件をご案内します。
・土地の広さも間取りも申し分ない。
・立地条件も抜群。
・学区も理想通り。
・職場から遠くないし、そもそも車通勤なので多少遠くてもへっちゃら。
・毎月のローン支払いも、今の家賃と変わらず支払える。
もう、買わない理由なんてありません。
奥さんも「ここが気に入った!ここにしようよ」と言ってます。
でもご主人はなぜか浮かない顔。
そうです、決断できないんです。
でお約束の「では検討させて頂きます」というセリフで帰ろうとします。
奥さんも「え?」という顔されてます。
なので私は「これ以上何を考えることがあるんですか?」と一応聞くんです。
すると、「いや、よく考えると職場の距離も微妙に今より遠いし、この辺りの地域には慣れていないし
この先今の給料が補償されているわけでもないし、そもそも間取りと外壁のいろがちょっと、うーん…」
と、
超ネガティブな理由を並べてきます。
こういう方には何を言っても無駄ですので、「わかりました」と、そのままお帰り頂きます。
やがてひと月くらいしてから、「すみません西守さん、あの物件買いたいんですけど…」とご連絡が
来るのですが、残念ながら自分が見て「良い物件」と
思った物件は、他の人が見ても「良い物件」なので
既に他の方が買われて
います。
「残念ですが…」とお返事しますが、後悔先に立たずです。

「あの時決断していれば…西守さんに“これ以上何を考えるんですか?”と問われて正直追い詰められた
気になり、決断できませんでした。
でもあの時
西守さんは私の背中を押してくれてたんですよね?」…でも、もうあの物件はもうありません。

 やって失敗し、後悔する…
やらずに無難に終えても、後に沸き起こる未練…
これ、どちらが良い悪いということではないと思います。
そんなどちらかの片方の結果だけに振れて生きる方はいないと思います。
失敗し、学び、それを次に活かすも、次は無難な線でやり過ごす。
そこで未練や後悔があったとしても、どちらにもなにかしらの学びがあるはずです。

常に何かしらの選択を迫られる命でもありますね。
私たち人間、衆生はそんな迷いの世界で生きています。
なぜなら、仏さまのような智慧を持ち合わせず、様々な欲という煩悩に振り回されているからです。
誰もが、この世と縁が尽きるその瞬間に「後悔だけは残したくなかった」と思われるかと思います。

阿弥陀如来という仏さまは、生きとし生けるものすべてを救う、と誓われ、お浄土を建立され、そして自らは
「南無阿弥陀仏」というお念仏の仏さまと
成られました。
そしてまさに今、その願いと救いが今を生きる私たちに至り届いています。

それ以上、求めるものって必要でしょうか?

既に救われている身であるからこそ、何ごともどんどん挑戦しても良いしどんどん失敗しても良い。
逆に特に余計なこともせず無難に過ごし、後に未練たらたらであれば、思い切って行動を起こせば良い。
単にそれだけのことなんです。
私たちには必ずこの世との別れが訪れます。
例外は全く無いです。
阿弥陀さまの救いを疑う事なく信じ、救いの手の中に入っているのであれば 本願という大きな救いの船に
乗せて頂いて今の命を生きるのですから、
何も思い煩う事なんて無いのがわかりますよね。
背負わなくてもいい責任やプレッシャーを自分の意思で背負い、そこに苦しみを感じ、様々な未練や後悔を
感じる、という全ては自分が作り出した世界で
起こっていることです。

迷うことなく、自分らしく、自分の命を生きなさい。
そしてその命を終えたら、私がお浄土へと必ず連れていくから。
そこで真のやすらぎを与えよう。
何も心配はいらない。
それが「南無阿弥陀仏」というお念仏であり、阿弥陀さまからのお喚び声です。
その救いを知り、まさに救われるという事は決して当たり前なんかではありません。
過去何度も六道という迷いの世界で生き死にを繰り返してきた私の命ですが、やっとここで大いなる大慈大悲
のお心に出遭うことが出来ました。
それ歓ばない理由なんてありません。
ですから、今与えられているこの命を日々、歓びながら過ごさせて頂くんです。
本当にありがたいことです。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

善教寺 住職
本願寺派 布教使

釋 一心(西守 騎世将)







 


 
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