弥陀大悲の誓願を
ふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく
南無阿弥陀仏をとなふべし

(正像末和讃 註釈版聖典 六○九頁))


みなさまこんにちは。
コロナに負けず、日々お念仏ご相続のことと、お慶び申し上げます。
平成28年熊本地震にて全壊してしまった当寺・善教寺ですが、今年からいよいよ再建事業が始まります。
そして今月よりデザイナーさんとの打ち合わせも始まりました。
私は今迄培ってきた建築の技術と知識を活かし、そして知恵を振り絞り、お寺の概念を超えた建物にて
善教寺を再建していきたいと思っています。
どうぞお楽しみに!

 さて、皆さん唐突ですが最近「やまびこ」って聞かれましたか?
コロナ禍となって、あまり外出もままならないご時世ですので、山などへ行く機会もめっきり減った
事でしょう。
私は小学生低学年の頃、山への遠足で初めてこのやまびこを聞きました。
友達が「ヤッホー!」と言うと山の向こうから同じく似た声で「ヤッホー!」と誰かが答えて来ます。
とても不思議で、すっごく驚きました。
そして誰かがふざけて「バカー!」と言うと、同じく山の向こうから「バカー!」と言い返して来ます。
これを見ていた引率の先生が「ほら。バカ、という者がバカと言われるんだよ」と笑いながら教えて
くれました。
私も試しに「おーい」と言ってみましたが、なぜか何も聞こえません。
何度も試しましたがダメでした。
それを見ていた先生が「山の向こうの人に聞こえるように、大きな声で言わないと聞いてもらえないよ」
と教えてくれました。
内気な私は(ここは笑うところではありません…)少し恥ずかしさもあってか、なかなか大きな声も出せ
なかったのです。
でも思い切って、たくさん息を吸ってお腹から目一杯大きな声で「おーい!」と言ったら、 山の向こうから
「おーい!」と返事が返ってきました。
これが嬉しくて、嬉しくて、何度も繰り返していたら、声が枯れて出なくなってしまいました。

さて、最初にお伺いしました「最近、やまびこを聞かれましたか?」の問いですが、
私は「はい、毎日聞いてます。しかも何度も聞いてます」と答えられます。
別に私が山間部に住んでいて、毎日やまびこ遊びをしている変なおじさんという訳ではありませんよ。
勘の良い方はもうお気付きかもしれませんが、そう、それはお念仏なんです。
「南無阿弥陀仏」の漢字の意味は「阿弥陀様に帰依します。私の身全てをお任せします」という意味
なのですが、実はこちらがお念仏を一方通行でしているわけではないのです。
お念仏とは、こちらが一方的に唱えて終わるものではないのです。

今月のご和讃ですが、正像末和讃から頂きました。
弥陀大悲の誓願を
ふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく
南無阿弥陀仏をとなふべし

これは「阿弥陀さまの大悲の誓願を、深く信じている人は皆、誰でも寝ても覚めても、どんな時でも
変わりなく、南無阿弥陀仏のお念仏を唱えましょう」…という親鸞聖人からの強いメッセージです。

お念仏は確かに我が身、我が口から出るものです。
でも、なぜ私はお念仏するのでしょう?
それは、阿弥陀さまのお救いを深く信じて疑わないからです。
そして阿弥陀さまからのお喚び声を聞かせて頂くためなのです。
深い苦しみや悲しみの底にいると、人はその辛さのあまりに阿弥陀さまにさえ背を向けてしまうことも
あることでしょう。
しかしその姿を阿弥陀さまは遥か久遠の昔から見抜かれて、私のために「南無阿弥陀仏」の称名念仏と
なっていつも隣で私を支えて下さっています。
私が申す「南無阿弥陀仏」は私が「阿弥陀さま、私の全てをお任せします」とお伝えし、そして我が耳に
聞こえる、私の声に似た「南無阿弥陀仏」は「我にまかせよ、そのまま救う。どうか我が名を呼んで、
お浄土に生まれておくれ」という、まるでやまびこのような阿弥陀さまからのお喚び声であり、
阿弥陀さまの切なる願いなのです。
ですから小さな声でボソボソとお念仏しても、阿弥陀さまからのお喚び声は小さくて聞こえません。
大きな声でお念仏するからこそ、阿弥陀さまからの喚び声をハッキリと大きくお聞かせ頂けるのです。
故に、大きな声でお念仏申すということは、阿弥陀さまより信心を頂いた証なのでありましょう。

今日、いい事があったら大きな声で「南無阿弥陀仏」。
そこには「良かったね、良かったね。私も嬉しいよ」の阿弥陀さまのお声。

今日、悲しい事があっても大きな声で「南無阿弥陀仏」。
そこには、「辛かったね。私も悲しいよ。その悲しみ、私に分けておくれ。
半分ずつ分かち合えば、あなたの悲しさも半分になる」の阿弥陀さまのお声。

阿弥陀如来さまは、わたし一人を救って下さるために、南無阿弥陀仏というお念仏となっていつも私に
寄り添ってくださる仏さまです。
ですから、私は常に阿弥陀さまと対話させて頂いています。
私が南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、と申せば、阿弥陀さまも南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、と返して
下さるのです。
が故に、「信心は、お念仏として出る」なのです。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

善教寺住職・本願寺派布教使
釋 一心(西守 騎世将)







 


 
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