和顔愛語(わげんあいご)にして
意(こころ)先にして
承問(じょうもん)す

仏説無量寿経(巻上)
(註釈版聖典 二十六頁)

皆さまこんにちは。
暑い日が続いていますね。
先月は静岡県熱海市で大きな土砂崩れが発生し、多くの尊い命が失われました。
この度の災害において物故されました方達には心より哀悼の意を表し、また同じく被害に
遭われた皆様には御見舞い申し上げると共に、一日も早い復興を願っております。

このような災害は毎年起こっています。
昨年は熊本の球磨川が氾濫し、とても大きな被害が出ました。
私はお寺の仕事とは別に災害支援機構という一般社団法人の代表理事もしております。
2011年の東日本大震災にて、初めて民間ヘリコプターにて災害支援をさせて頂いてから
「これからは【国がなんとかしてくれる】という考えを捨て、自助、共助の時代となる」と
考え、発足させました。
その後、茨城県常総市の鬼怒川氾濫による水没災害や、熊本での地震などにも対応して
きました。
あらためてこの「自然災害」を思い起こしてみますと、災害が起こるたびに「防災」という
言葉の虚しさを感じます。
なぜなら、人は自然災害には絶対に勝つことは出来ず、そして人の力でその災禍はコントロール
が出来ないからです。
ですから私たちの団体では「防災とは、躊躇なく非難する事」と常々言っています。
そしてもう一つ言える事は、災害とは人に被害が及ぶ事であり、誰も住んでおらず誰にも被害
の無い所で大雨が降ろうが、洪水が起きようが、それは災害とは言いませんよね。
つまり災いとは、人を中心にした考え方なんです。
そして、その災いの引き金が、自然破壊によるものであったり、避難指示など重要な情報の
遅れ、そして「ウチは大丈夫だろう」という根拠のない楽観的な考え方が歴史を見る限り
殆どです。
つまりは、「人」に降りかかる「災」い、「人」に起因する「災」い、ですから結局、
「人災」なんですよね。

人は常に人を中心に考えます。
まあ、人の世ですからそれは当たり前な事です。
その中で様々なコミュニティーが存在し、その中で私たちは生きているのですが、当然ながら
人と関わらずに過ごせる事はほぼ皆無でしょう。
ですから、「対ひと」というワードが重要になってきます。
自分の目の前にいつも気に入る人、好きな人が現れるわけではありません。
四苦八苦の中の一つ、「怨憎会苦」のように、嫌いな人とも接しなければならない事もまま
あるでしょう。
でも揉めたり喧嘩したりするのはもっと嫌…だから人に好かれようとしておけば、とりあえず
面倒な事は避けられる…私たち日本人って、昔からそんな性質も持ち合わせているのでは
ないでしょうか?
でも、人に好かれようとするのは、自分を押し殺して生きる事と同じで、心も体も、とても
疲れます。
そして何より「楽しくない!いや、辛くもある!」じゃないでしょうか。

私は僧侶になる前は、とにかく人を「好き嫌い」で単純に判別して生きてきた単細胞な考えの
人間でした。
ですから、好きな人とは徹底的に付き合いますが、嫌いな人には攻撃こそしなくとも、
あからさまに嫌いな態度を取っていました。
だから当然私も、相手から大いに嫌われます。
中には会った事も話した事も無い人から「あいつ嫌い」などと言われていた事もありました。

そもそも、人の好き嫌いなどというものは、単に自分のモノサシで測って決めているだけの
ことなんです。
仏教の教えとは、実はその人間の愚かなモノサシを外してくれる教えなんですね。

冒頭の
『和顔愛語(わげんあいご)にして、意(こころ)先にして承問(じょうもん)す』
という言葉は、お釈迦さまの説かれた教えを記した「仏説無量寿経」という経典の中の言葉
です。
これは、「おだやかな顔とやさしい言葉にて、相手の意志を先んじて知り、よく受け入れる」
という意味ですが、阿弥陀さまが仏さまと成られる前、法蔵(ほうぞう)という菩薩さま
だったのですが、法蔵菩薩さまは「全ての衆生を救う」ために、どうしたら良いかを、長い長い
私たちの想像を超えた時間を掛けてお考えくださり、そして我ら衆生を救済するための四十八の
願いを立てて下さいました。
これは「五劫思惟の願」とも呼ばれますが、この尊い願いを成就するために法蔵菩薩さまは
長く大変な修行をもされました。
その修行の際のご様子が「和顔愛語にして、意先にして承問す」なのです。
やがて法蔵菩薩さまは阿弥陀如来という仏さまと成り、四十八の願いを成就され、既に
私たち衆生をお救い下さっているのです。
つまり、私たちがいよいよこの世との縁が尽きる時、「阿弥陀さま、どうか私をお救い下さい」
と願う前から、私たちは阿弥陀さまから
「あなたのことはわかっているよ。何も心配はいらないよ。どうか我が名を称えておくれ。
そしてそのまま私のお浄土に生まれなさい」と願われていた、ありがたい身なのです。

「おだやかな顔とやさしい言葉にて、相手の意志を先んじて知り、よく受け入れる」という
様子、態度、いや生き方こそ、阿弥陀さま(法蔵菩薩さま)が私たちにお示し下さっていた
「人に好かれようとして活きるのではなく、人を好きになるように生きる」という、この世の
人間関係にて陥る「苦」から解放されるための、仏さまの智慧だったのだと私は思います。
本当にありがたいことですね。

本日現在、また急激に新型コロナウィルスの感染者数が増えてきております。
どうか皆様も感染症対策を徹底され、この暑さを乗り切られて下さい。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

善教寺住職
釋 一心(西守 騎世将)







 


 
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