煩悩にまなこさへられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身をてらすなり

高僧和讃
(註釈版聖典 五九五頁)

皆さま、こんにちは。
今年は五月に梅雨入りして驚きました。
過去にも何度かあった、とは聞きましたが、さすがに「早すぎないか?」と誰もが驚いたこと
でしょう。
そしてテレビをつけると相変わらず「コロナ」「緊急事態宣言」「オリンピックどうなる」と
いう話題がどのチャンネルでも報じられています。
私は過去にも触れましたが、オリンピックの自国開催には最初から反対でした。
その理由は、まずオリンピックという大会が商業的な要素がかなり濃くなり、純粋なスポーツの
祭典とは言い難くなっている大会であることと、その準備の為に莫大な税金が投じられる事、
そしてその恩恵を受けるのは国民ではなく、一部の大手企業と関わる〇〇家さん達だけ、という
事、そして最後にオリンピックの為に建てられた施設は、オリンピック閉会後利用目的もなく
多くが無駄に残ってしまっていること、です。
まあ、私の考えはどうでも良いのですが、大会出場選手がとても不憫に思えます。
この世の中の現状、手放しで参加を喜べない、世間が反対意見にあふれているのにそこに出場
して入賞しても心から喜べるのか?とその複雑な気持ちを察します。

巷でも、休業要請や時短要請などによって飲食店を中心に多くのお店関係者の方達、そしてその
取引先の方達も苦しんでおられます。
更に頼みの綱の休業補償金も支給が数ケ月も遅れています。
こんな状態になると私たち人間はどうしても「悪者探し」を始めてしまいます。
「政府は何をしているんだ?」、「県は役所は何でこんなに遅いんだ?」…その気持ちは重々
わかります。
私たち仏教界でも、法要や法座が軒並み中止です。
善教寺地元の熊本で葬儀が入っても、愛知県にいる住職の私が行こうとすると「いや、県外から
はちょっと…」と言われ、数件他のお寺さんに代理で葬儀でのお勤めをお願いするに至って
います。
当然、宗教法人には国や自治体からの補助は一切ありません。

そんな最中、日本医師会の会長がこっそり深夜に寿司店で飲食していたとか、相撲協会の力士が
深夜に飲みに出ていたとか、スキャンダルがどんどん出て来ます。

人は、何か世間に対して良いことや役に立つことをしていると、どうしても「自分だけはこれ
くらいなら許されるだろう…」という甘さ、つまり弱さが出てきます。
これが人なんですね。
誰も見ていない、見ていないからわからないだろう。
わからないんだから、別に誰かの迷惑になることもない…そう考えて何かしらのルールを破って
しまう。
そしてそれが発覚しなければ、またその繰り返し…やがて誰かの目に入り、結果自分が一番困る
事になる。
そう、悪気があってやっているのではないんです。
「別にこれくらいしたところで、誰かが困るわけではない…」確かにそうです。
他人さまが直接困ることはありません。
でも自分が一番困る事になるのです。

煩悩にまなこさへられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身をてらすなり

これは、親鸞聖人のお作りになられた和讃(高僧和讃)です。
私は煩悩にまみれ、それによって眼(まなこ)が遮られ、阿弥陀さまのお救いの光が見えては
いませんが、その大いなるお慈悲のお心は怠ることなく、滞ることなく、常に私の身を照らして
下さっているのです…という意味です。

人は誰も見ていない、誰にもばれないと思うとどうしてもその弱さが出てしまい、大なり小なり
おろそかな事をしてしまいます。
でもそれは間違った考えで、実は阿弥陀さまはどんな時でもずーっと私の傍に寄り添われ、昼間の
太陽のようにお救いの光で私を絶えることなく照らして下さっているのです。
ですから、誰も見ていない、のではなく、阿弥陀さまがずっと見守って下さっているのです。
それでもズルいこと、悪いことをしたとしても、阿弥陀さまはその人を罰することはありません。
たとえ阿弥陀さまに背を向けるようなことをしていても、阿弥陀さまは決して私を見捨てず、
お救いの光で私を照らして下さっているのです。
そう思うと、「誰も見ていないから、こっそりと…」などという事は阿弥陀さまに対してとても
とても申し訳なくて、出来るはずがありません。

何があっても、どうしていても、常に阿弥陀さまがご一緒です。
なんとありがたいことでしょうか。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

善教寺住職
釋 一心(西守 騎世将)







 


 
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