皆さま、こんにちは。
年が明けたと思ったらあっいう間にひと月終わってしまいました。
さらに世間は二度目の緊急事態宣言下です。
テレビやニュースを見ますと、医療の崩壊が取り沙汰され、また飲食店ばかりが悪者にされ、それを柱とした
法律改正が騒がれています。
しかしながら、その法律改正をする身分である国会議員ですら、ルールを破り大人数で会食をしたり、八時以降
に飲み屋さんで飲んでいたことが発覚し、批判を浴びています。
でも冷静に考えてみますと、飲食店は多くの方達に料理や飲み物を提供して収益を得、そしてその中から雇用
しているスタッフさん達に給料を支払って生活を支え、お店の賃料を支払い、さらに納税をしています。
議員さん達も、目的は別としてそこで会食やお酒を嗜んでそのお店にお金を落としています。
これの何が悪いのでしょうか?とも言えます。
更に、八時以降の飲食店での飲食禁止という根拠もよくわかりません。
元来ならステイホームで完全にコロナを封じ込める事が大切ですが、「経済を回せ」というとても中途半端な
政策で世間が混乱しています。
お釈迦様は「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」と言われました。これを「三法印」と言います。
そしてさらに「一切皆苦」を付け加えた教えを「四法印」と言います。
三法印から説明しますとここでは長くなってしまいますので、今回は「一切皆苦」についてお話させて
頂きます。
「一切皆苦」とはその字の如く、この世の中は全てが「苦」である、という教えです。
ここで言う「苦」とは身体の苦しみや苦痛、と言うよりは、「物事は全て自分の思い通りにならない」という
ことを「苦」と表されています。
人は常に自我で考えて行動しています。だからまず「ああしたい、こうしたい、そうだったらいいな」から
始まり、なんとかそうなるように行動していきます。でも、どんなに頑張っても、どんなに準備しても、
どんなに根回ししても、思い通りになっていくことはなかなか少ないのではないでしょうか。
だからなんとか自分の意に沿うようにいろんな事をしますが、結果としてそれが誰かを傷つけたり、多大な
迷惑をかけてしまったり、時には犯罪に及んでしまうこともあるのかと思います。
よくよく考えてみますと、私たちは生まれて来るところから一切の選択肢を与えられていません。
いつ、どこの国のどんな両親の間に、男性か女性かも選ぶことが出来ずに生まれてきます。
そして人によって生きる年数は異なりますが、どこかで病気にもなります。そして病気なのか事故なのかも
選べずにこの世と縁が尽きます。そんな人生なんです。
そこへ「ああしたい、こうしたい」を入れ込めば、そりゃ確かに苦しいわけです。
人はその苦から逃れたいから、先ほども言いましたが、善し悪しは別としていろんなことをして生きています。
そんな色々な過去は誰しもが持っています。人に言えないこともあるでしょう。この私にだってあります。
若い頃はやんちゃし過ぎて、親からは「カミソリ」というあだ名を付けられていました。
そのまま生きてくれば、私は犯罪者だったかもしれません。
でも年を重ねていく…毎日を一生懸命生きての今が、過去の私がどう映るかというのも変わっていくものだと
思います。
私は、幸い、いまはお寺の住職をさせて頂き、こうやって皆様と一緒に仏さまのお徳を讃嘆させて頂ける身となり
またお念仏申す身へと阿弥陀さまよりお育て頂いています。
また一方、過去様々な社会貢献や人助けなどをしていても、今真逆な生き方をしていれば、その立派だった
過去ですら、「偽善」や「下心あったんでしょう?」などと言われかねません。
人は変わっていくんです。良くも悪くも。
親鸞聖人は正信念仏偈(正信偈)の中で、「私のような煩悩まみれの極重悪人は、ただお念仏申すしかない。
それによって、阿弥陀さまのお救いの手の中に在る身ではあるのに、まだ煩悩が私のまなこをさえぎり、
何が正しいのかという真理が見えてこない。それでも阿弥陀さまの大悲のお心はあくことなく、いつでも
どんな時でも私を常に照らして下さっている」と仰せになられています。
親鸞聖人は、ずっとご自身を「煩悩の消えぬ身」と憂い、が故に「悪人」と称し、愚禿(ぐとく)親鸞と自らを
呼んでおられました。そしてそんなわが身を唯一お救い下さるのが阿弥陀如来さまであり、その名を称する
南無阿弥陀仏のお念仏申すことがたった一つの行である、という生涯を貫かれた方でした。
何でも思い通りになるのが当たり前なのではなく、思い通りにならないのがこの世の常です。
人生には生・老・病・死という自分では全く選択できない4つの苦があります。
生まれる事も、老いる事も、病になる事も、そして死を迎えることもすべて自分の選択権はありません。
さらにその生の中で、愛別離苦(あいべつりく)…愛する方々との別れ、具不得苦(ぐふとっく)…欲しい物が
手に入らない、怨憎会苦(おんぞうえく)…嫌な人と会わなければならない、五蘊盛苦(ごうんじょうく)…
人間の構成そのものが苦を作る、といった更に4つの苦もあります。
だからこれら4つを足して、四苦八苦なんです。
固執やこだわりといった、いわゆる我執(がしゅう)がその苦しみの根本です。
全然思い通りにならない!と諦めたりヤケになったりする生き方もあるのかもしれませんが、よけい苦しくなる
だけだと思います。
そもそも思い通りにならないのだから、そんなこだわりを捨てて、今日を一生懸命誰かの為に頑張って生きれば
それがやがて喜びや希望になっていくのではないでしょうか。
そうすることによって、感謝が生まれ、感謝があればそこに幸せがあるのだと思います。
そんな明るく希望に満ちた「今」があれば、過去のあれこれなんて、かすんでしまうものです。
阿弥陀さまは常に私に救いの光を当てて下さり、そして常に隣に寄り添い、支えて下さっています。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
善教寺住職
釋 一心(西守 騎世将)