聖道門のひとはみな
自力の心をむねとして
他力不思議にいりぬれば
義なきを義とすと信知せり


(正像末和讃:註釈版聖典 六〇九頁)

皆さま、明けましておめでとうございます。
昨年は本当に世界中が困難や苦難に包まれた年でした。
同時に、様々な変化もありました。
生活様式から人との距離、そして新型コロナウィルスへの考え方とそれに対応する生き方の違い、さらに
物理的な人との距離よりも、心の距離が近くなった人、遠くなった人…
良くも悪くも、この出来事が何か人としての本質を露わにしてくれた感じもします。

さて、新年の伝道掲示です。
「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。我に与(あずか)らず、我に関せずと存じ候(そうろう」…
これは勝海舟の有名な言葉です。
実際には、福沢諭吉が勝海舟に非難の内容の手紙を送った送った際の、福沢諭吉に向けた返事の文言です。
勝海舟は元々、徳川幕府に仕えていました。
しかし最終的には、明治新政府に江戸城を無血開城し、明け渡しました。
それは、徹底抗戦して無駄な犠牲者を出さないためだったのです。
その後勝海舟は新明治政府に仕える事になるのですが、そんな勝海舟を見て福沢諭吉は「武士は二君に仕えず
ではないのか?」といった非難する内容の手紙を勝海舟に送ったのです。
そこで勝海舟は福沢諭吉に対して、「自分が世に出て何をしようがそれは私の責任。あれこれ評価するのは
他人のすること。私が関与することでもなく、また関係のないことです」と返したのです。
つまり、「あれこれ言うのは他人の勝手じゃ。そんなもん、俺には関係ねぇ!」ですね。

現代社会の中で生きていくには、様々な評価が為されます。
正当な評価もあれば理不尽な評価もありますし、また自分の期待した評価もあればそうでない評価も。
SNSもそうで、Facebookでの投稿にたくさんの「いいね!」があれば満足したり、はたまた自分が評価する
側に回ったりすることもありますね。
ひどいのになると、その「いいね!」すらお金で買えて周りから高評価を得る人物であるかのように作り上げる
ビジネスもありました。

そもそも評価って何?から考えてみますと、人の目や感情に自分がどう映るか?ですよね。
どう映るか?は結局自分ではどうすることも出来ません。
相手に合わせて好まれそうな言動で多少の評価を上げることは出来ても、他人の絶対的な評価を自分では
コントロール出来ようはずもありません。
そんな虚しい努力、本当に必要でしょうか?と私は常々思います。
もちろん、自分勝手・身勝手を褒めているのではなく、誰かを傷つけない、不愉快にさせない配慮の中での話
です。
いやむしろ、派手な振る舞いなど見かけで人の目を引くことなんかより、相手への配慮、優しさ、気遣い、
こそが真の評価に繋がっていくのだと私は思います。
しかも「自分らしさ」を知っている方は意外と少ないのではないでしょうか?
自分らしさとは、そのままご自身の人としての魅力のことです。
その魅力に気付かない…そのままでいいのに、自分らしくでいいのに、余計なことをして、むしろ大切なもの
を捨て続けているのではないでしょうか。

冒頭でご紹介させて頂きましたご和讃は、親鸞聖人のお書きになった正像末和讃から頂きました。
「聖道門のひとはみな 自力の心をむねとして 他力不思議にいりぬれば 義なきを義とすと信知せり」。
聖道門とは、自力で苦行をしてこの世で悟りをひらこうとする、とても厳しく難しい教えであり苦行です。
自分で何とかしようとしますので、自分を拠り所とします。
ですから、苦行難行をして悟りを得ようとする人たちは、自力の心をむねとして、つまり自分を根本の拠り所
としています。
しかし、他力不思議の…他力に頼む浄土の教え…つまり阿弥陀如来に帰依すれば、すべては自分のはからい
(自力)なのではなく、他力…阿弥陀さまのおはたらきなのだと知るのです、という意味です。
阿弥陀さまは、南無阿弥陀仏のよび声となって、常に私にはたらきかけて下さっています。
そのよび声を聞かせていただくと、自分を律し厳しい苦行をすることが出来なくても、この身のままこそが
阿弥陀さまのおはたらきの中にあったのだと気付かされます。
私をよび続けて下さるお育ての中で、すでに私のために救いが整えられていたことに気付くのです。

ですから、何も背伸びして自分らしさ…自分の魅力を失う必要などなく、私は私のままで丁度いいのです。
人間ですから、短所やダメなところもあるでしょう。
それですら、すべては阿弥陀さまのおはたらき、はからいによるもの。
長所短所などは、私たち衆生の、その場その時の都合でそう評価しているだけに過ぎません。
み仏のはたらきはそんな狭いものではありません。
私は私のままで丁度いい。
その丁度いい私だからこそ、救われていくのです。

どうか皆様、この年は自分の良さを知り、そして自分らしく穏やかにお過ごし出来ますように。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

善教寺住職
釋 一心(西守 騎世将)







 


 
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