如来の回向に帰入して
願作仏心をうるひとは
自力の回向をすてはてて
利益有情はきはもなし
(正像末和讃 註釈版聖典六〇四頁)

5月、やっと国の緊急事態宣言が解除され、少しずつですが経済活動や人々の生活も
戻ろうとしています。しかし、まだ続くであろう第2波、第3波の感染被害は心配ですし
新型コロナウイルスの脅威は消えて無くなったわけではありません。
また、自粛を強いられるばかりでなく、仕事を失くしたり、会社が倒産したり、この出口
の見えない脅威によって、多くの人々の心も少しばかり疲れ、またギスギスしているよう
にも見えますね。
また、このイライラによって傷害事件や殺人事件まで起こり、そして収入を失くして
しまったという理由で窃盗事件まで起こしてしまう人もいます。
「ウィズ・コロナ」や「新しい生活様式」と表現されますが、これは我々人類が経験した
ことのない大変な生き方を余儀なく強いられることを意味するものでもあると思います。

さらには、そのような心の暗闇が一人の女性の命を奪ってしまいました。SNSによるひどい
誹謗中傷によって、女子プロレスラーである木村 花さんがお亡くなりになってしまいました。
これらを「表現の自由」と言われる方もいますが、私はそうは思いません。
日本国憲法第十二条には「自由の権利の乱用の禁止・利用の責任」として「国民はこれを
乱用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」と
前置きされた上で、同第二十一条に「表現の自由」が記されています。つまり、自由勝手に
人を傷つけてまで表現の自由は認められておらず、また人を死に追いやることが公共の福祉
なわけありませんよね?
今月の言葉で述べているように、福祉とは人々を救う仏さまのはたらきであり、転じて真に
人のために尽くす我々の生き方を言います。方便や便利な言葉なんかではありません。

親鸞聖人は正像末和讃の中で
「如来の回向に帰入して 願作仏心をうるひとは自力の回向をすてて 利益有情はきはもなし」
と私達にお教え下さっています。「願作仏心」とは、み仏がこの私に、浄土に生まれて仏と
なれ、とお勧め下さっていることです。しかし、自分中心でしかこの世で生きられない私は
どうしてもこの世の欲や迷いを断ち切ることが出来ず、少しばかり病気になるとすぐに死を
恐れ、お浄土の素晴らしさやそれをお勧め下さるみ仏のお心も頭ではわかっているのですが
どうしても素直な気持ちを持てないものです。
しかし阿弥陀さまはそんな私を最初から全てわかって下さっておられる仏さま。そんな私に
南無阿弥陀仏のお名号をお授け下さり、お名号の中で「何も心配はいらない。我を拠り所に
し、そして我の誓いに帰せよ」と常にこんな私に呼びかけて下さっているのです。
阿弥陀さまのはたらきとは、誰もが恐れる死の問題ですら乗り越えさせてくれるありがたい
お救いなのです。ですからお浄土へ生まれさせて頂くというお救い、はたらき、そして喜び
は、すなわち多くの人々と共に阿弥陀さまのはたらきを心から喜ぶことのできる、他への
はたらきかけとなるのです。これを親鸞聖人は「利益有情はきはもなし」と強く強調して
他力信心のはたらきをお教えくださっています。つまり、死を越えた共に浄土へ向かう歩み
こそが、強い生き方なのだとお示し下さっているのです。

私達は、この世で好き勝手し放題に生き、やがて命尽き終わるために生まれたのではあり
ません。この世で目一杯生きながらも、それでも迷いが消えず苦悩したそのまま阿弥陀さま
にお浄土に生まれさせて頂き、仏へと仕上げて頂くために生まれてきたのです。
つまり、福祉とはそのまま、私達の生き方そのものなのです。

まだまだ油断はできません。どうぞ皆様感染予防をしっかりして頂き、ウイルスを寄せ付け
ないようお気を付け下さい。
合掌

善教寺住職
釋 一心(西守 騎世将)





 


 
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