阿弥陀さまの「すべての人々を決して見捨てないで、必ず救う」という、救い
のはたらきである「本願力」に出遇えたのなら、空しい時を過ごす人はいま
せん。阿弥陀さまは大変なご修行をされ、その功徳のすべてを南無阿弥陀仏の
お名号にお納め下さりました。ですから、お名号にはその功徳が大海の水の
ように満ち満ちており、真実を濁らせてしまう煩悩にさえぎられることなく、
私たちは阿弥陀さまのおはたらきによって仏とならしむるべく、お育て頂く
のです。
仏教には三毒というものがあります。
貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)と言いますが、
貪欲はむさぼりの心、瞋恚はいかりの心、愚痴はおろかさです。
これらがいわゆる「煩悩」と呼ばれるもので、私たちはこの三毒にいつも
迷わされ、苦しめられています。
これらを滅するための様々な修行がありますが、これを自力修行と言います。
でも、どんなに厳しい修行をしても、これら三毒から解脱することは、凡夫
と呼ばれる私には不可能なことです。
そんな私のわがままを、阿弥陀さまは大いなるお慈悲の心によって、そのまま
お救い下さるのです。
これを「他力本願」と言います。私はどんなに頑張っても、阿弥陀様のお力
なくしてはお浄土に行くことができません。
他力とは、阿弥陀様のお救いのはたらき、本願とは「全ての人々を救う」と
いう阿弥陀様の大いなる願いです。
これらは全て、阿弥陀様による「あなたを仏の国であるお浄土に生まれさせ
必ず仏とならしむる」という切なる願い。
つまり私たちは、仏と成る身であるのです。仏と成るのであれば、今の今、
仏さまのように生きて行かなければなりません。
それが、むさぼり、いかり、おろかさに流されず、しなやかな心と振る舞い
を心がける、という誓いなのです。
合掌
善教寺住職
釋 一心(西守 騎世将)