本願力にあひぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし

…高僧和讃
(註釈版聖典五八〇頁))

阿弥陀さまの「すべての人々を決して見捨てないで、必ず救う」という、救い
のはたらきである「本願力」に出遇えたのなら、空しい時を過ごす人はいま
せん。阿弥陀さまは大変なご修行をされ、その功徳のすべてを南無阿弥陀仏の
お名号にお納め下さりました。ですから、お名号にはその功徳が大海の水の
ように満ち満ちており、真実を濁らせてしまう煩悩にさえぎられることなく、
私たちは阿弥陀さまのおはたらきによって仏とならしむるべく、お育て頂く
のです。

仏教には三毒というものがあります。
貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)と言いますが、
貪欲はむさぼりの心、瞋恚はいかりの心、愚痴はおろかさです。
これらがいわゆる「煩悩」と呼ばれるもので、私たちはこの三毒にいつも
迷わされ、苦しめられています。

これらを滅するための様々な修行がありますが、これを自力修行と言います。
でも、どんなに厳しい修行をしても、これら三毒から解脱することは、凡夫
と呼ばれる私には不可能なことです。
そんな私のわがままを、阿弥陀さまは大いなるお慈悲の心によって、そのまま
お救い下さるのです。
これを「他力本願」と言います。私はどんなに頑張っても、阿弥陀様のお力
なくしてはお浄土に行くことができません。
他力とは、阿弥陀様のお救いのはたらき、本願とは「全ての人々を救う」と
いう阿弥陀様の大いなる願いです。

これらは全て、阿弥陀様による「あなたを仏の国であるお浄土に生まれさせ
必ず仏とならしむる」という切なる願い。
つまり私たちは、仏と成る身であるのです。仏と成るのであれば、今の今、
仏さまのように生きて行かなければなりません。
それが、むさぼり、いかり、おろかさに流されず、しなやかな心と振る舞い
を心がける、という誓いなのです。

合掌

善教寺住職
釋 一心(西守 騎世将)


 


 
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